文系人間の生きる世界
高校生、大学生の頃、
社会に出てしまえば勉強なんて役に立たないと思っていました。
ある程度の学歴を取っておけば、後は要領の良さとかの勝負だろうと。
高校生、大学生の頃、自分がどんな仕事をやりたいかということについて
想像力を全く働かせませんでした。
父親も特にそんなことを考えていなさそうだったけどまあなんか楽しそうにゴルフとかしてたし、
どんな仕事でも思いっきりやればそれなりに楽しめるだろうと楽観視していました。
それに、実際に社会に出てみれば、自分がどんな仕事をやりたいのか、
もっと具体的に分かるだろう。
そんな風に考えていました。
・・・
自分の"見立て"は、ある程度は合っていました。
自分が初めて配属された部署を一生懸命やったら、やりがいがあって楽しかったですし、
仕事のできるできないは、やはり要領の良さで決まることが多かったです。
特に、individual contributor*1 にとっては。
ただ、実際に働いてみなければわからなかった意外な事実もいろいろ見えてきました。
大学文系→文系採用された人間から観察された「事実」です。
・・・
事実その1; 給料が高いかどうかは、仕事が出来る出来ないでは決まらない。
私は単純に、仕事が出来る人はぐんぐん給料が上がるものだと思っていました。
けど、とても仕事が出来るAさんも、窓際社員のBさんも、
同じ会社に働いていて同じ役職、同い年なら給料はそんなに変わりません。
それは会社がおかしいのではなく、「そういうもの」なんだと働くにつれ実感してきました。
そんな中給料をぐんと上げるためには、「転職」または「出世」しかありません。
「儲かってる会社」や「儲かっている業界」に潜り込むこと、
もしくは、
転職時にハッタリをかますこと*2によって「転職」で給料アップが見込めます。
また、「出世」も有効な給料アップの手段のひとつです。
ですが、出世は転職では実現できません。*3
事実その2: 出世できるかどうかは、仕事が出来る出来ないって決まらない。
出世って、ポジションが空かない限りできないものです。
その空いたポジションの決まり方は、
そのポジションを空けた人間(ひとつ上のポジションに出世した上司)が自分の後任を決めるという
というのが一番多いパターンです。
なので、いくら仕事が出来ても、「出世していく上司」にかわいがられなくては、
出世はできません。
つまり、僕の生きている世界では「人たらし」こそが最強の能力だな、ってことに気づきました。
じゃあ「人たらしになれるように努力したらいいじゃない?」ということなのですが、
人には得手不得手があります。
私は「かわいがられ力」がそこまで秀でていないですし、また残念ながら「かわいがられること」が好きでもないです。
なので、人たらし力に左右される世界でなくて、
「仕事が出来るか出来ないか」とか「頭の良さ」とかで勝負できる世界で生きたいな、
という思いがむくむくと表れて来ました。
・・・
そんな私ですが、この3つ目の事実が私を苦しめます。
事実その3: ジョブチェンジの敷居は高い。
転職では基本的に「実績」しか評価されないので、違う世界にばっと飛び出ることが、とても難しい。
でも、なんとかしたい。
私がMBAを目指したのは、そういう理由からです。
MBAも「インプットした証拠を示すだけのもの」なので「実績」として評価されない気はするけれども、
そこは論文等で精一杯のアウトプットをして何とかしようと思っています。
MBAに行きたい理由を4回くらい書いている気がする。。