国内MBAを目指してみる人のブログ

筑波大学大学院が提供する英語MBAプログラムを目指して、国内MBAに行こうか検討している人に「国内MBAを目指している人の一例」を示せればいいな、と思って始めたブログですが今は迷走中です。

人生のイベントは大抵一発勝負だけれど、同時に大抵のことは事前に疑似体験できる件

目が覚めてふと思ったのです。
人生のイベントは大抵一発勝負だけれど、同時に大抵のことは事前に疑似体験できるなあ、と。

・・・

例えばプレゼン。
基本一発勝負ですが、事前に本番と似たような会場で、同僚等を顧客に見立てて疑似体験することができます。

例えば面接。
基本一発勝負ですが、事前に本番と似たような会場で、知人を面接官に見立てて疑似体験することができます。

例えば社畜サラリーマン生活。
バイトとかインターンとかでサラリーマン生活がどういうものか雰囲気を掴むことができます。

例えば転職先での生活。
うーん、ちょっと疑似体験するのは難しいけど、例えばオフィスを訪問させてもらうとか、社員を紹介してもらうとか。

例えばプロポーズ。
まあ、疑似体験できなくはないですよね。(プロポーズをうまくできたからといって結果が変わるとは思えませんが。)

例えば結婚生活。
同棲。うーん、結婚の半分くらいのわずらわしさな気もするけど。

例えば子育て。
ペット飼うとか?うーん、ちょと違うけど。

・・・

私は、これらの「疑似体験」が嫌いでした。

例えば新卒のシューカツのときに就職サイト(リクナビとか)が
「友人同士で模擬面接をして、フィードバックし合おう!」とか提言するわけですが、
「はー?」って思ってました。

プレゼンも、同僚に見せるのとか大嫌いです。

理由は、わずらわしいから。
こんなことを知人や同僚にお願いして手間をかけてもらうくらいだったら、
ぶっつけ本番やったほうがマシ!って思ってました。

あと、こんなに手伝ってもらって失敗したら恥ずかしい、とか、
手伝ってもらうこと自体、真剣にプレゼンや面接している姿を見られるのが恥ずかしいっていう気持ちもありました。


・・・でも!

最近気づいてきたのは、タイトルにもあるように「人生のイベントは大抵一発勝負だな!」という事実。

プレゼンはもちろん一発勝負。
転職も、一回転職したらなかなか「じゃあ次へ!」とはいかないもの。
結婚はなおさら。


思えば私は今までラッキーでした。

てきとーに新卒時の就職先ではそこそこスキルを得ることもできましたし(英語しゃべれるようになった!)、
「まあとりあえず結婚するか」以上のことは何も考えずにフィーリングで結婚した相手とは
(今のところ)とてもうまくやれています。


が、最近発覚する不都合な事実たち。
例えば大学院の入試は年に一回しかないので、去年落ちた私は最短でも来年以降の入学という事実。
転職して間もないのに、全く新しいことにチャレンジしてしまいたくなったという事実。
そして悠長なことを言っていられなくなってきた年齢。


新しいことをするには、早くしなければいけないし、数少ないチャンスをものにしなければいけない。

そんな状況に追い込まれてきたら、
「あれ、でも一発勝負と言いつつ、工夫次第では『101回目の一発勝負』という形にも持っていけるじゃん?」
って思いついたので、思いつきをだらだらと書かせていただきました。

なりふりかまっていられないので、予備校に行こうとしている。

正直、社会人大学院に行くために予備校に行く人を「馬鹿なんじゃないか」と思っていました。

・社会人にもなって、また受験勉強をするなんてアホか。
・やりたい勉強があるんだったら、その勉強をやればいい。勉強のための勉強をするなんていう遠回りをするんじゃなくて。
・大学院に行ったからって、その学歴は転職や昇進に全く役立たないんだろうから、費用対効果を考えても予備校に数十万追加で払うなんてありえない。

そんな風に考えていました。


・・・

でも、昨年受験であっさり落ちて、
今年は自分の専門でない新しいことを勉強する大学院に行こうとしていて、
新しいことを勉強するために何もかもが手探りな状況で、
なりふりかまっていられなくなってきました。

自分のささやかなプライドはドブに捨てて、金を使って楽をしようと思います!



つながっていない道へジャンプするためには、飛び道具が必要だ。
壊れた橋を渡るためには、フックショットが必要だ。


使えるものは何でも使って、目標に邁進していきます!



(予備校は4月スタートだそうです。続報を待て!)

なじみのない分野の勉強をする方法を模索した。

私は最近「データ分析が自分に向いているんじゃない?」という思いに駆られ、統計学・数学を勉強し始め、
目指す大学院も筑波の国際経営(MBA-IB)から経営システム科学(一応MBA)にシフトしつつあります。

で、研究計画書を書くために興味がある分野の論文を読むかーって思ったのですが、
びっくりしたことに論文に何が書いてあるのか全く理解できませんでした。

もう何がわからないのかすら分かりません。私にとってはアラビア語を読むくらい難しい!って感じでした。


・・・


そこで私は、道具のちからに頼りました。

まずは、iTunes U。

iTunes U では、iTunesを通じで大学の講義が無料で見れます。

私は通勤時間が片道1時間あるので、この時間にiTune Uをぼーっと聞き流し、
統計学とか数学がなんとなくわかる」という状態に持っていきました。

iTunes Uを見るために、ケータイもiPhoneに変えました。
今はまだ海外の大学の講義が大半ですが、海外の一流の授業を無料で聴けるというのは素敵ですよ。
(ちなみに統計学のとっかかりとしては、この授業が私には最適でした。)

さらに、SpeedUp TVというアプリを使って2倍速で講義を聴くと、90分の講義が45分で終えられるんですよ!お得!



次に、その本、図書館にありますというChrome向けのサービス。

iTunes Uをやっていると、「もうちょっとちゃんと理解したい!文字から理解したい!」
という気持ちがふつふつと湧いてきました。

そんなとき、とても役に立ったのがこのサービスです。

このサービスはamazonで気になる本を調べると、
自分のよく使う図書館にその本の在庫があるかどうかを調べてくれるサービスです。

気になる書籍を全部買っていると、破産しますよね?

私はこのサービスによって「まず借りてみて、自分に合っている書籍であれば購入」
というプロセスを確立したことによって、お金を節約するだけでなく、まず目を通す書籍の幅を広げることもできました。

これ作った人、天才か!


最後に、Kindle Paperwhite


ある程度基礎体力をつけた後は実際に論文に目を通さなきゃいけない訳ですが、
仕事が終わって、机に座って、さて読むか、って思っても睡魔しか襲ってきませんでした。

で、Kindle Paper WhiteにPDFを入れて、またしても通勤中に読む作戦を実行。

通勤電車内のように、「他にやることがない、かつ避けられない状況」だと、まあこんな私でも論文を読むわけです。




以上のように、様々な道具のちからに頼ることによって、
今は論文を読むのが、「アラビア語レベルの難しさ」から
「フランス語(第二外国語)レベルの難しさ」にまでなんとか持ってくることが出来ました。
これならなんとか読み進めることができそうです。


・・・


未開拓の分野の勉強をするにあたって、勉強の「とっかかり」が一番難しいですよね。

そういうときに、「意思の力」でどうにかしようとしている人が多いように感じます。


でも、セルフコントロールは消耗資源です。(「スイッチ! 」という本を参照)

だから、サラリーマンはハウスオフィスもせずにせっせと出勤し、
脚本家は喫茶店やファミレスにわざわざ出向くことによって、
「仕事をするぞ!」って意思を持たなくても仕事ができる環境に身を置くのです。




私は先に挙げた道具のちからのおかげで高校生のときの数学の授業より
はるかに楽に勉強を進められています。
(テクノロジーの進歩、万歳!)


根性なんてあてにならないので、
道具のちからに頼って未開拓の分野を開拓して、自分の世界を拡げましょう!



↓私史上最高のビジネス書です。


文系人間の生きる世界

高校生、大学生の頃、
社会に出てしまえば勉強なんて役に立たないと思っていました。

ある程度の学歴を取っておけば、後は要領の良さとかの勝負だろうと。


高校生、大学生の頃、自分がどんな仕事をやりたいかということについて
想像力を全く働かせませんでした。

父親も特にそんなことを考えていなさそうだったけどまあなんか楽しそうにゴルフとかしてたし、
どんな仕事でも思いっきりやればそれなりに楽しめるだろうと楽観視していました。

それに、実際に社会に出てみれば、自分がどんな仕事をやりたいのか、
もっと具体的に分かるだろう。

そんな風に考えていました。


・・・


自分の"見立て"は、ある程度は合っていました。

自分が初めて配属された部署を一生懸命やったら、やりがいがあって楽しかったですし、
仕事のできるできないは、やはり要領の良さで決まることが多かったです。
特に、individual contributor*1 にとっては。


ただ、実際に働いてみなければわからなかった意外な事実もいろいろ見えてきました。
大学文系→文系採用された人間から観察された「事実」です。


・・・

事実その1; 給料が高いかどうかは、仕事が出来る出来ないでは決まらない。

       私は単純に、仕事が出来る人はぐんぐん給料が上がるものだと思っていました。
       けど、とても仕事が出来るAさんも、窓際社員のBさんも、
       同じ会社に働いていて同じ役職、同い年なら給料はそんなに変わりません。
       それは会社がおかしいのではなく、「そういうもの」なんだと働くにつれ実感してきました。

       
       そんな中給料をぐんと上げるためには、「転職」または「出世」しかありません。

       「儲かってる会社」や「儲かっている業界」に潜り込むこと、
       もしくは、
       転職時にハッタリをかますこと*2によって「転職」で給料アップが見込めます。


       また、「出世」も有効な給料アップの手段のひとつです。
       ですが、出世は転職では実現できません。*3


事実その2: 出世できるかどうかは、仕事が出来る出来ないって決まらない。
       
       出世って、ポジションが空かない限りできないものです。

       その空いたポジションの決まり方は、
       そのポジションを空けた人間(ひとつ上のポジションに出世した上司)が自分の後任を決めるという
       というのが一番多いパターンです。

       なので、いくら仕事が出来ても、「出世していく上司」にかわいがられなくては、
       出世はできません。


つまり、僕の生きている世界では「人たらし」こそが最強の能力だな、ってことに気づきました。

じゃあ「人たらしになれるように努力したらいいじゃない?」ということなのですが、
人には得手不得手があります。

私は「かわいがられ力」がそこまで秀でていないですし、また残念ながら「かわいがられること」が好きでもないです。


なので、人たらし力に左右される世界でなくて、
「仕事が出来るか出来ないか」とか「頭の良さ」とかで勝負できる世界で生きたいな、
という思いがむくむくと表れて来ました。


・・・

そんな私ですが、この3つ目の事実が私を苦しめます。


事実その3: ジョブチェンジの敷居は高い。

       転職では基本的に「実績」しか評価されないので、違う世界にばっと飛び出ることが、とても難しい。




でも、なんとかしたい。
私がMBAを目指したのは、そういう理由からです。

MBAも「インプットした証拠を示すだけのもの」なので「実績」として評価されない気はするけれども、
そこは論文等で精一杯のアウトプットをして何とかしようと思っています。




MBAに行きたい理由を4回くらい書いている気がする。。

*1:「平社員」のかっこいい呼び方

*2:特に採用募集している会社が、「すぐに」来て欲しそうだったら有効

*3:基本的に転職では「実績」しか評価されないですし

初めての浪人生活?と文系と理系。

私は、会社勤めをしています。

なので、厳密には全然浪人生ではないのですが、
今年の受験に失敗して来年の受験のために勉強中ならば浪人生を名乗っても良いのではないか?
と思ったので、書いてみます。


・・・


大学受験の話。

高校3年生の途中になって、周りが勉強し始めたら私も本格的に勉強し始めました。

でも、1年で高校3年間の勉強を取り戻すのは無理!と1日で悟り、
理系科目を全て捨て、文系科目に集中することで受験を乗り切ることにしました。


つまり、出来ることだけをやってきたということです。

要領のいい人というのは、こういう人なんだと思います。


自分の能力の届く範囲と届かない範囲をよく知っていて、
自分の出来ることだけをやり、自分の出来ないことはやらない人のこと。
(そしてそうやっているうちに、自分の範囲が狭くなってしまってつまらなくなってしまう人。)


・・・


文系と理系の話の続きと、「有能感」の話。


仕事をする上で、仕事に誇りを持つために、「有能感」ってのは結構大事だと思うんです。

有能感とは、「俺はこんなことやっててすげえだろう」って自分で誇りを持てる根拠のようなものです。

文系の仕事しかやったことない私は、有能感の限界が見えてきてしまったな、と最近感じるのです。


例えばノルマのない仕事だと、どうしても「画期的なことをやる」よりも「ミスなくそつなくこなす」ことを
上司に求められがちです。

で、「ミスなくそつなくこなす」スキルや専門性を身につけても、全然「有能感」が得られません。
「ぶっちゃけ、こんなの誰でもできるんじゃね?」という疑念が頭から離れないのです。


また、もしそのスキルや専門性が認められて「こいつすげースキル持っているから出世させよう」
っていうのがあったとしても、

結局その先は「上に昇っていく人間にいかに気に入られれて流れに乗れるか」
という政治ゲームの世界になってしまっているように感じます。


そんなの、つまんない世界だ。
思考がお子ちゃまな私は、そう感じてしまうのです。


一方、自分が理系ではないから、憧れが混じっているのかもしれませんが、
理系の仕事の方が、「この仕事は俺がいたからやれたんだ。」みたいな気概を持ちやすいような気がします。





何か「確かなもの」が欲しい。

そういう漠然とした思いがあるんだと思います。


「誰誰とうまくやっているからアイツは上に行くぞ」みたいな地盤がぐらぐらしている環境ではなく、
「あいつはアレをできるから、価値がある。」そんな風に思われたいのかもしれません。

もしかしたら形を変えた「ただの安定志向」なのかもしれないけれども。


・・・

そんなこんなを考えていて、自分のキャリアの方向性をぐいっと変えてみようと思っています。


そのためにはまず数式を理解できなきゃいけないことに気づいて、今数学を勉強中です。あと統計学も。

実は、浪人生になったら数学を勉強しようと昔思っていたので、まあ、遅ればせながらという感じです。



・・・

高校生のときも、大学生のときも、
「勉強は大人になって、必要になったらやろう。今は、今やれることをやりたい。」
って思っていました。

そして、たぶん今がその「大人になったら」のときなんです。
もう後伸ばしにするのは終わり。

後になって、「学生のうちに勉強しておけばよかった。」と後悔したりだとか、
自分の子供とかに「学生のうちに勉強しておけよ。」としたり顔で言うのは嫌なんです。


若いときの判断は間違っていない証明をするために、予定通り「今」勉強したいと思っています。



(終)



(蛇足)
とかやってて、どんどん大学院受験対策とかからやってることが離れていってる気がします。

今進んでいる道の先にはない道にジャンプするために

人が、今やっていることとは全然違うことをやりたくなるのは、
突然やってくると思うんです。

例えば、経理の人がマーケティングやりたいと思ったり、営業の人が人事をやりたくなったりするのは、
突然ふと、そう思うからです。

元々「まず経理をやって、その後マーケティングをやろう!」って考えていたのではなく、
経理をやっていて、この仕事もそれなりに楽しいけれど、なんか違うことをしてみたい、
そうだ、マーケティングをやってみたい、というように。


・・・


一方、新しい職種で雇われようとする時、その「自然な気持ちの動き」は全く受け入れてもらえません。

いきなり進んでいる道を変えようとすると、「なんで?」と追求されます。
着実に同じ道をステップアップしている人を受け入れるのが普通です。


・・・


周りに認めてもらいないから、最初に決めた道をそのまま進み続けるしかないのでしょうか?

いや、最初にたまたま決めた道こそが正解って訳でもないでしょう。
仕事人生は長いんだから、最初にたまたま決めた道に進んでいかなきゃいけないってのはつらいでしょう。
ってか飽きるでしょう。


だったら、ジャンプして違う道に飛ぶ、その方法論を考えていきたいと思います。自分のためにも。


・・・


「ジャンプする」際の障害は、「なかなか雇ってくれないこと」に尽きるかと思われます。

だとしたら、まず簡単に思い浮かぶ解決策は、「雇ってもらわなきゃいいじゃん」ってことです。


人事をやりたくなったら人事関連の仕事を、マーケティングをやりたくなったらマーケティングの仕事を、
自分ひとりでやればいい。

企業でも副業でも。


(・・・とは言っても、なかなか難しいですよね。)



・・・

次の方法は、「なかなか雇ってくれない彼らを納得させる」ことですね。うん、正攻法。


この問題を考えているとき、例えば私はマーケティング転向したいのでマーケティングの例でいくと、
「何故マーケティングをやりたくなったか」をどう説明しようか、を必死に考えていました。

本当は「ふと」やりたくなったのだけれども、そこをどうにかこじつけようと。

でも、今やっていることと、これからやることが違いすぎて、
二つの道に架け橋を作ることが本当に困難で途方にくれていました。



そんな感じだったのですが、先日とある講演会でとある講演者の言葉で、「ああ、考える方向が違ったな」と納得しました。


その人はマーケティングから人事に異動するための提案をお偉い方にプレゼンして、異動が叶ったのですが、

そのプレゼンで拘ったポイントは、


「私は人事をしたいんです。何故ならば、・・・」


と言うではなく、


「この会社には、今、こういうタイプの人事が必要なんです。何故ならば、・・・」
「そして、私はそういうタイプの人間です。こういう経験もあります。」


ということを主張したこと、とのことでした。


つまり、「何故私がふと違う道に進みたくなったのか」なんていう情報は、相手にとって全く必要ないっ・・・!


・・・

たぶんポイントは、「拘った」というポイントです。

私はマーケティング職への転職の最終面接で、「何故マーケティングをやりたいの?」というド直球の質問を受けました。

それまでの面接では、今までの経験でのこういう部分が御社に役に立ちます!ってことを伝えていてはいたのですが、
「何故マーケティングをやりたいの?」という質問に、答えることが出来ませんでした。。

たぶん、自分の主張である「今までの経験でのこういう部分が御社に役に立ちます!」という部分が固まってなくて
自信を持てていなかったんだと思います。

自信があったら、「勝算があるからです!」と答えることが出来た。


・・・

で、そのような自分の主張を固めるために、大学院で研究をするというのはひとつの道なのかも。

そんな風に最近思っていて、MBAに行くために勉強しています。

(実務経験のほうが大学院での経験より10倍くらい評価される気がするのが気になるところではありますが・・・)

(ここで大学院とMBAがごっちゃに使われているのは、わざとです。詳しくはまたの機会に譲りますが。)


・・・

ちなみに、大学院に入るためにも似たような障害に直面するんですよね。

「今あなたはこの仕事をしているのに、なぜ方向転換をして、この研究をしたいの?」


この答えは、
「分野は違うけれども、今までの経験がこの研究には役に立つんです!」

です。


(たぶん・・・)

そもそも、何のために大学院に行こうと思ったんだっけ?

大学院の入学試験の対策をしていると、
書きやすかったり面接で説明しやすい志望動機を書き進めてしまい、
いつの間にか「誰の志望動機?」って感じのものが出来上がってしまいがちです。
(もしかしたら自分だけ?)

なので、このタイミングで自分のために
「そもそも僕は何のために大学院にと思ったんだっけ?」と言うことを書きとどめておきます。



1. 会社外のコミュニティ

会社勤めをしていると、いつの間にか世界が狭くなってしまいますよね。
私が付き合いのあるのは、会社の人と、あとは大学時代の友人にたまに会うくらい。

私が特に思ったのはリーダーシップを発揮する機会を増やしたいな、ということです。
マネジャーでない私でも会社の中でもリーダーシップを発揮する機会はなくはないのですが、多くもない。
いつもの人々の中で、限られたリーダーシップを発揮するだけ。
なので、何か「別の場所」が欲しいな、という思いがありました。

それは自分で勉強会を立ち上げてもいいし、趣味の集まりでもいいし、
ボランティアでもいいと思うのですが、様々な選択肢の中で、何故か「大学院」を選びました。


2. キャリアの方向性をぐいっと変えたい

数多ある「リーダーシップを発揮する機会」の中で何故大学院に行きたいのかと思ったのかというと、
「キャリアの方向性を変えたい」という思いもあったからです。

キャリアの方向性を変えるための手段として国内MBAはベストではない、
というのは理解しているつもりです。


転職市場だと基本的にその職種の就業経験が求められるし、
「何を勉強したか」なんて基本的に目には見えないものだからアピールしづらいし。

一番いいのは、社内ローテーションで希望職種に異動すること、
二番目は、「稼ぎながら(アウトプットを出しながら)学ぶ」ことでしょうか。

なんで社内ローテーションを狙わなかったのかというと、
今の職場に社内ローテーションが基本的に存在しないから。

なんで稼ぎながら学ぼうとしなかたのかというと、
うーん、なんでだ?
それこそ「経営」を学びたいのなら、副業でもして経営を実践した方がいいのではないのか?

・・・

たぶん、そこには「逃げ」があったと思います。

大学院に行ってしまって、2年でなんとか卒業すれば、
何かしら形のあるもの(=学位)をゲットできる。

一方、副業を試みて、2年間費やしても全くお金にならなければ、
2年間がムダになったような気がしてしまう。

たぶん、それが嫌だったんでしょう。


それがいいとか悪いとかは特にないですが、そんなことをだらだらと考えました。